元気をくれたのは、マグカップの黄色でした

母との短期同居が終わり、いつのも毎日が戻ってきました。
狭い2LDKマンションでの同居は、自分時間がほとんどなくて・・・
娘(わたし)とおしゃべりしたい母に付き合いながら、食事作りと家事に追われる私を励ましてくれたのは、黄色のマグカップでした。

元気が出る色は「iittalaのハニー」

母が我が家に来る直前の楽天マラソン。
SCOPEさんの送料無料対策に「何かないかな〜」と見ていたら、いつもは選ばない黄色のマグカップがどーしても気になって・・・思わず衝動買い。(^▽^;)

同居中に届いたそのマグカップは、疲れた私の気持ちを癒やしてくれましたし、ハニーと名付けられた黄色を見ているだけで気持ちが明るくなりました。

母との短期同居という非日常だったからかもしれませんが、暮らしに色が1つ加わっただけで、こんなにも気持ちが変わるのかと驚きました。

毎朝焼いていた「おからのバナナケーキ」とiittalaのハニー。

糖質オフで低カロリー。便通の悪い母が喜んで食べてくれました。

母との同居が終わった次の日。
海外ドラマを観ながら食べたカップラーメン♪


50歳の記念に買った本に、なぜ、私が黄色のマグカップに惹かれたのか。納得の答えが書いてあったので、また記事にしたいと思います。

親との同居は難しいと感じた短期同居

介護に影響する家族の歴史

母は術後で体力は落ちたものの、身の回りのことはできるので、私がしたことは「食材に制限のある食事作り」「洗濯」「掃除」でした。

何よりも大変と感じたのは、元々、生き方も考え方も正反対で、実家から逃げたいが為に短大は寮、就職は実家から遠い場所で一人暮らしを選んだ私が、母と25日間も一緒に過ごさなくてはならなかったことでした。

・元々価値観が違う母とのおしゃべりは、合わせるのも、意見を言うのも疲れる。

・認知症が進んできた母に、ひとつひとつ同じ説明を何度も繰り返さなくてはならい。

潔癖症(強迫性障害)のわたしと、「掃除なんてしなくても死なない」考えの母との「きれい」の基準の違い。

優しい娘に徹したのは恩返し

母と話せば話すほど、思春期に反抗もできず良い子だった私が、これまでの積もり積もった不満を言いたくもなりましたし、多少言い合いになったこともありましたが、終始優しい娘に徹しました。

母とはいろいろありましたが、長女を出産した時は 団地に泊まりがけで手伝いに来てくれましたし、祖母として孫たちには「かっこいいおばあちゃん」でいてくれたので、その恩返しと思ったからです。

家族が「本当に優しい娘だと思う」と褒めてくれるほど、母に尽くした25日間でした。

強迫症の(強迫性障害)の根っこが見えた

「男の中で育った」が口癖の母。4人兄弟の唯一の女の子で末っ子。
同居中は潔癖症のわたしに気を遣っていましたが、もともと「掃除ができない女」でもあるので、洗面所やトイレの手洗いはいつも水が飛び散っていて。(-_-;
認知症も進んでいるので、母のためのトイレ掃除や、匂いのついた衣類を洗濯するのは、本人のプライドを傷つけない様に言葉掛けをしながら対処しなくてはなりませんでした。

そんな私を見て、娘2号が「ママ、大変だね。大丈夫?」と声をかけてくれました
「大丈夫。ママは小学校からずっとこんなことやってたから慣れてるのよ」と答えると、娘2号が「ママ、偉すぎる」と言ってくれました。

自分でも思いました。本当に偉い子どもだったんだなぁと・・・
小学生の頃から、祖母の粗相の片付けをしていたんだから、潔癖症にもなるはず。子どもなりに、家にある洗剤を駆使して徹底的に掃除していましたし、臭いにも相当敏感になっていました。

子どもの頃の記憶が戻ったことで、心の病気の根っこが見えた気がします。
そして、子どもの頃の自分を褒めることで、なんとなく病気との関わり方が変わっていくような気がしました。

短期同居を振り返って

愚痴は書いたらきりがないけれど。(^▽^;)
短期同居を振り返ると・・・

お家大好きな私と反対で、外に出ていくのが好きな母。
家に長くいると退屈するので、車であちこち連れてきました。

「御本殿」が工事中だった太宰府天満宮


福岡県立博物館

芥屋の海へドライブ

花好きの母が、必ず花を買ってくれたので部屋にはいつも花がありました。


近所を散歩したり、母と楽しい思い出もできました。

実家の親のことは、これから色々と起こるんだと思います。
先のことを心配しても仕方ないので、今は自分のやるべきことを一つ一つ片付けていこうと思います。